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シネマカルチャーCinemaCulture INTERVIEW






インタビュー INTERVIEW 
パリの本屋を舞台に、年の離れた男女のプラトニックな愛を描いたラブストーリー
10月14日(土)公開『静かなふたり』のエリーズ・ジラール監督が自作を語る
         
■10月14日(土)から新宿武蔵野館ほかで公開される『静かなふたり』は、パリに出てきたばかりの若い女性がカルチェ・ラタンの古書店で働き始めたことから、年の離れた店主とプラトニックな愛(?)で結ばれてゆくという、ちょっと風変わりなラブストーリー。だが古書店店主には隠された過去があって、次第にミステリアスな人間ドラマの様相も帯びてくる。主演のマヴィを演じているのはイザベル・ユペールの娘のロリータ・シャマ―。『ベルヴィル・トーキョー』(11年)に続きこれが長編2作目というエリーズ・ジラール監督が自作を語っている。
<自身の体験がヒントになって生まれた物語>

■1970年代にカルチェ・ラタンにあった「シネマ・アクシオン」(四つの映画館をひとつにまとめて設立された会社)で広報担当をしていたときに、上司はみんなわたしより35歳は年上でした。友人らはそんなわたしの境遇を悪夢と考えていました。でもわたしは、誰かと仲良くやっていくのに年齢など関係ないと思っていました。それでこのテーマに取り組んでみたくなったんです。個人的に魅力を感じていることも盛り込みたいと思いました。その出会いによって、生き方をすっかり変えてしまう人々のことをです。そして、闇に包まれた過去を持つ男を好きなってしまう、ひとりの若い女性を思い描きました。 ロマンティックで思いがけないラブストーリーです。 最終的に映画の本題となったのはおとなへの道のり、自分の人生行路を選択する瞬間です。
■主人公のマヴィはとても孤独な人間です。古書店主のジョルジュはマヴィの本性を引き出し、彼女に成長の可能性を与えます。マヴィは自分のことを理解してくれるひとに初めて出会うわけです。

■マヴィは田舎者です。パリっ子とはまるで違う。首都のことは何ひとつ知らないのです。何もかもが見慣れない、驚かされるようなものばかりに映る。戯画に陥いることなく、マヴィをいまどきの若い女性とは違う人物にしたかった。衣服であるとか自己表現の仕方を通じて。 マヴィにはどこか19 世紀的なところがあります。いつも読書をしていて、作家になる資質を備 えている。最初はそのことを自覚していないのですが。また、いくらか夢見がちなところもある。そうした性格上の特性ゆえに彼女とジョルジュとの間にラブストーリーが生じうるのです。マヴィの外面(そとづら)を通じて彼女の個人的な部分、側面が見えてくるようにしたかった。この若い女性が他者にどう映っているか、ふるまい方や時間の過ごし方を通じて。カフェで読書したり、書きものをしたり、歩き回ったり、手描きの広告に興味を持ったりすることは、すべてマヴィの時代錯誤ぶりを示すしるしなのです。

■撮影監督のレナート・ベルタとパリを歩き回りました。いろいろと構想を練りながら彼に参加してもらえないかと頼みました。わたしは、サクレクール寺院で実際にロケーシ ョン撮影されているのに、まるで描かれた背景みたいに登場するヴィンセント・ミネリの映画 (*おそらく51年製作の『巴里のアメリカ人』)に言及しました。レナートはこのことを頭に入れて、パリという街を撮りつつそれがセットであるかのようにつくり上げました。


<古書店店主ジョルジュの人物像>


■ ジョルジュという人物をつくり上げるには時間がかかりました。事実に固執しすぎないよう にしようと思いながら、元活動家たちのことを調査しました。イタリアの極左テロ集団、赤い旅団の支援者だった出版人ジャンジャコモ・フェルトリネッリから着想して、ルキノ・ヴィスコンティの『山猫』(63年)で バート・ランカスターが演じた人物=サリーナ公爵の特性を共有する男を思い描いたのです。実際ジョルジュは『山猫』でバート・ランカスターが演じた人物と同じサリーナ姓を名乗っています。
■途方もなく富裕で、発禁本の出版に身を捧げている人物が姿を隠さなければならなくなった ら、どこで開業することになるだろうかと自問しました。そこでカルチェ・ラタンのことを考えたのです。というのもこの人物はお金に困っていないし、みずから書店を経営して、書物をカモフラージュにして身を隠すことができるからです。取り散らかっていてむさくるしい本屋。乱雑な状態を映画に撮るのはとても面白く思いました。いたると ころに箱が散らかっている。パリの中心部に位置しながら世間から隔絶 し時間を超越した場所。うわの空で歩いている通行人なら見落としてしまうような街角の小さな店というアイディアが気に入りました。

■主人公ふたりはお互いの違いゆえに惹かれ合います。ですから彼らは、互いにとって思いが けない話題ばかりを持ち出すのです。けれどもその言葉はとても率直なものでもある。これが愛なのです。自分がそれまでには耳にしたこともないようなことを話す人、あるいはそうしたことを独特のやり方で口にする人との出会い。
■ジョルジュはとても知的な人物で、彼はマヴィのことを信頼します。ジョルジュはぶっきらぼ うで遠慮がない。マヴィが作家の資質を備えた若い女性であることをジョルジュはただちに見抜きます。きみは物書きになるべきだとジョルジュがマヴィに話すとき、彼は相手のことをすっかり理解しているのです。ジョルジュは出版人であり、物書きというのがどういう人間であるかをよく知っている。彼女が何に向いているのかを教えてあげるわけです。

■ジョルジュは去って行きます。みずからの過去に囚われているがために。刑務所行きを免れたいと思っている。己の思想ゆえに逮捕されたくないからです。けれども彼の逃亡を促したのはマヴィです。ジョルジュは彼女を危険に曝したくないと思っている。これぞ真の愛です。自らのことを考える以前に、他者のことを考えるということですね。マヴィには前途が開けているのだからジョルジュは彼女を破滅させたくない。いずれマヴィが成功して万事うまくゆくと確信しているのです。彼に備わった紳士的な側面です。別の時代、中世からやって来た男というわけです。ジョルジュは自分に死期が近づいていることを強く意識しています。


<女性の視点による映画的ヴィジョン>


■男性に対する自分なりのヴィジョンを通じてわが女性的感受性があらわになっているという意味で、わたしは女性ならではの映画的ヴィジョンに囚われています。アンヌ=ルイーズ・トリヴィディクと一緒に脚本の構築に取り組みました。男の人と一緒に 脚本を書くなんて、とてもじゃないけど考えられなかった。これに反して、編集段階では正反対 のことが起こります。男性の目が必要になるんです。
■製作者も女性です。わたしたちはこの映画をつくるにあたって、数多くの女性と一緒に仕事をすることにしました。現場でもそうしましたし、映像づくりや音づくりにおいても。けれど結局は、男性よりも女性に向けた映画を作るようなことはしなかったのです。 演出というのは、長らくもっぱら男性ばかりが手がけてきた仕事だったわけですが、いまではありがたいことに、監督は男性でなくてはなんてことはなくなり始めています。わたしが女性だからといって「あなたとは一緒に映画を作らない」などと言われることはありません。

                                                       (2017年10月9日 シネマカルチャー記)



                                   静かなふたり
                                DROLES D'OISEAUX





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